絵を描くまでの長い道のり
〜開催までの道のりを振り返ってみました〜
ついにというか絵画の個展を開催することになったこれは結構感慨深いものがある・・・・ 思えば長い道のりだったようにみえるし事実そうだ美大芸大卒の輩や同業のデザイナー諸氏の多くが小さい頃から「絵が好きで上手かった」のだろう御多分に洩れず私もそれなりにそうだったというか他に取り柄がなかったというべきなのだろう小学校の授業で一番楽しかったのが図工の時間であった体育もまあまあ楽しかったけれども図工はとにかく楽しみであった小学生のあるときに父の仕事関係の方から京都に美術高校があることを聞いたなんでも毎日図工の時間が半日くらいあるという図工の時間が好きだった神谷少年は深い理由もなく「行きたい!」と思った
ある朝だったと思う布団をめくって起き上がる時に「あっ!あの小学校の時に行きたかった美術高校へ行こう!」と突然 そうまさに突然思ったのだ担任の先生にそれを伝えると「勉強はさておき実技が問題だ」と少し難しい顔をしたような記憶があるそれは実技試験まで数ヶ月しか期間がなかったからだ僕はクラブ活動というものに興味がなく美術クラブにももちろん入っていなかったし美術の時間も適当に過ごしていた(それでも成績はよかったが)
とりあえず美術の先生のところへいくように指示され向かった美術の先生はそんな学生がいることに少し驚いたのとそんな学生がいることに少し喜びを感じたようにみえた僕は次の日から毎日放課後に美術の先生の部屋に通って先生が用意するりんごやらみかんやらヤカンやらコップなどをデッサンしたり着彩画を描いた いや描きまくった周りの友達とはこの頃から自然と離れていったようだ中三の冬はただひたすら絵を描き勉強していたそして周囲から消えるように僕は一人京都市立日吉ヶ丘高校美術工芸コースの図案科に入学した
なぜ図案科(今でいうデザイン科)を選んだのかはよくわからないただなんとなくということくらいしか理由は思いつかない絵は好きだけど絵で仕事をするようなイメージができていなかったからだろうそれ以上に強く「絵を描きたい!」という欲望がなかったのだろういや 今思えば「描きたいものがなかった」んだろう きっと美術高校の図案科を選んだ時から僕は「デザイナー」という仕事に向けてただひたすらそれだけを職業として当たり前のように目指してきたように思えるしそれ以外のことを考えた記憶はほぼない
大学もデザイン科を選択し卒業してそして僕はデザイナーになった 憧れのという気持ちもさほどなく当然のこととしてデザイナーになった
以来ずっとデザインの世界で生きてきたし今も生きている50歳を過ぎたとある日に実家にいくと母親から手渡されたのが「小学校の卒業文集」だったそこには6年2組 神谷利男とあったけれどそれが不思議に思えたのは自分じゃないような気がしたからだ短い文章だったけれど簡単にいうと「大人になったら画家になって外国で個展をひらいて世界中の人に絵をみてもらう」とあった恥ずかしいからか書いたことは何となくは覚えていたけれどまったく実現していないから思い出したくはなかった若かったら笑ってすませていただろうでもその時思ったのは「あっ!やり忘れていたことがあった」であった「僕は今まで絵というものを描いたことがない」という事実を知ったのだもちろんデザインの仕事ではたくさんのイラストレーションは描いてきたイラストレーター兼デザイナーというキャプションがつく仕事もしてきたただそれでもやっぱり「絵画は描いていない」ということは真実だった
それからはそう 中学三年の冬に美術高校を目指したときとまったく同じように 僕は「油絵を描き」出したのだ なぜ油絵なのかは小学校の卒業文集を描いたあの個展のイメージがゴッホだったから
油絵具の匂い 筆の長さや硬さ パレットのカタチ キャンバスの手触り・・・どれもが新鮮で僕は小学生の頃の少年に戻ったような気持ちになった週末は一人部屋にこもり油絵を描いていた絵を描かない時も油絵に関する書籍ー歴史や技術や道具や画家や画集やーそれらを貪るように読んだり観たりしたしあまりいかなくなっていた美術館へもいくようになった
グループ展のお誘いにも今までならDMのデザインだけしていたのに出品者の一人としても参加するようになったそれは大きな喜びでもあったけれども同時にまたプアーな自分をさらけ出してしまったことによるちょっとした苦しみでもあったそれでも「絵を描く」ということは何にも代えがたい夢中になれる喜びみたいなものが確かにあった 美術の文脈を知りこれから何をすべきかということを考えている時期もあったし今もそれは頭をよぎってしまうこともあるけれど(多くの知識を入れてしまった故に)ただ「描いていて楽しい」ものが数年前に見つかってしまいそのアイデアが溢れてきてそれら全てを描かざるを得なくなってしまった
今回の初めての絵画の個展の開催はつまりそういうことなのです